大判例

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広島高等裁判所 昭和51年(行コ)9号 判決

控訴人

宗清弥生

右訴訟代理人

外山佳昌

増田義憲

被控訴人

右代表者法務大臣

福田一

右訴訟代理人

角田光永

右指定代理人

堂前正紀

外四名

主文

原判決を取消す。

被控訴人は控訴人に対し、金八四万四〇〇〇円及びこれに対する昭和四七年一〇月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一控訴人の夫宗清信雄が大蔵事務官として広島南税務署へ勤務し、昭和四四年七月以降資産税相談係長の職にあつたところ、同四五年四月六日午後一時五五分頃右税務署内で納税相談を受けている最中、頭蓋内出血(くも膜下出血)により倒れ同日午後一一時三二分頃死亡したこと及び右信雄は平素から血圧が高かつたことは当事者間に争いがない。

二控訴人は右信雄の死亡の原因となつた頭蓋内出血(くも膜下出血)は、死亡前の過重な業務による精神的肉体的疲労の蓄積及び死亡当日の異常な税務相談による興奮に起因すると主張するのに対し、被控訴人は、右は、信雄の有する本態性高血圧症の基礎疾病が死亡前の私生活による疲労のため自然増悪したものであると主張するので、以下右信雄の健康状態(特にその有する高血圧の程度)、死亡前の勤務及び私生活による疲労の程度、死亡当日の勤務状況につき検討し、その死亡が公務に起因するか否かを判断する。

(一)  信雄の健康状態(信雄の高血圧の進展状況)

1  当裁判所の認定も原判決理由二の(二)の1に説示するところと同一であるからこれを引用する。(但し原判決九枚目裏八、九行目に「昭和二四年三月一五日から大蔵事務官として呉税務署を振り出しに」とあるを「昭和二二年九月から」と、同一〇枚目表七行目に「一一〇」とあるを「一一六」とそれぞれ改める。)

2  右認定事実と鑑定人青山英康の鑑定の結果によると信雄は日常的な健康管理下において一応健康な生活を営みうる状態にあつたものでその高血圧、血管壁の変性の進展状況は緩慢であつたと認められる。

(二)  信雄の勤務及び私生活による疲労の程度

1  勤務による疲労の程度

〈証拠〉を総合すると次の事実が認められる。

(1) 信雄は昭和四四年七月以降資産税相談係長として納税者に対する相談事務を主として担当して来たが、資産税に関し昭和四四年に法改正があり、同年度は新法旧法の選択適用が認められていたため、その確定申告の期間昭和四五年二月一二日から三月一六日までは例年以上に多忙であり、右期間中はほとんど毎日のように残業する情況であつた。

(2) 信雄は税務職員として相当の経歴を有する一応のベテランではあつたが、性格的には穏和、内攻的であり、また理論に弱いところがあつて、納税相談の仕事には必ずしも向いているとはいえなかつた。

(3) そのような関係から、当時の信雄の担当事務量が他の署員に比して特に大きかつたとはいえないが、精神的疲労の度合は小さくなかつたものと推測される。殊に、島崎初一という納税者に関する確定申告の更正については、右島崎の長男洋と口論に及んだこともあつて、その解決に多大の心労を費していた事実がある。

以上認定の事実関係からすると、信雄は資産相談係長になつて以来、とりわけ昭和四五年二、三月の確定申告期間中職務上精神的疲労ないしストレスはかなり高かつたものと推測されるが、それが信雄の前記高血圧症にどのような影響を与え、どのように事故当時の信雄の健康状態を悪化せしめていたかということについては、信雄の本件死亡事故を一応別に考えるとすれば、これを外部的に確認するに足る資料はない。

2  私生活による疲労の程度

〈証拠〉を総合すると次の事実が認められる。

(1) 信雄は長女の結婚式やその準備のため昭和四五年一月一六日、一七日、三月二三日、三月二八、二九日(結婚式)と三回自動車で賀茂郡黒瀬町の自宅から大阪まで往復し(右のうち一月と三月二三日は往復とも信雄が運転した)、更に四月三、四日は確定申告期が終つた慰労のため、資産税関係の職員六名と一緒に島取県の大山まで自動車による一泊旅行に出かけ、信雄は、往路は広島―赤名峠間、帰路は赤名峠―黒瀬町の自宅間を運転したが、帰路気分が悪くなり同行していた同僚から降圧剤を貰つて服用した。

(2) しかし信雄は結婚式後も、大山旅行後も別に疲れたような様子は見うけられず、四月五日(日曜)も最近購入した大型耕転機を用いて一時間ほど苗田をすいたり、訪れた友人と談笑したりして過し、四月六日もいつもと同じように午前六時三〇分頃起き自動車で出勤した。

右認定事実と鑑定人小林宏志、同青山英康の各鑑定の結果によれば信雄の私生活においては接近して行事が処理されているが、いずれも精神的ストレスを生ずるものとは考え難く、また肉体的疲労も大きいものではなかつたと認められる。

(三)  信雄の死亡当日の勤務状況

〈証拠〉を総合すると次の事実が認められる。

1  信雄は死亡当日自家用車で午前八時四〇分頃南税務署に出勤し譲渡所得確認調査のため出署依状二〇通を書くなどした後、午前一一時から三〇分間納税相談に応じたが格別トラブルもなく終了した。

昼休みは昼食後同僚と囲碁に興ずるなどし、午後一時から納税相談を受けたが五分ほどで終了した。

2  午後一時三〇分頃食堂経営者平岡某が不動産仲介業者某、建築業者某とともに税務相談に訪れ、信雄が担当することとなつた。平岡某はこれまでにも税務相談に訪れ他の税務署員と口論したこともある所謂うるさい人物であつた。

相談内容は、右三名が共同出資して土地を取得し。地上に建物を建築して売却し、売却利益を三人で分配した場合、その所得が短期譲渡所得でなくて、事業所得なり、雑所得にならないかというもので税務相談としてはきわめて難しい種類に属するものであつた。

相談者らは相談員である信雄から言質をとり有利な取扱を得ようと強い語調で発言していた。信雄は前記のように税務のベテランではあるが、その理論的説明は苦手の方であつたから、相談者らを納得させることができず、かつ前記のような信雄の性格から悪質な相談者らに対しても大きな声を出すこともできず、自己の感情を押えて応待していた。その後も三名が信雄を取り囲んだ形で交互にしつこく声を高くして詰問するので、近くで執務していた梶尾上席調査官も信雄と交代しようかと見守つているうち、午後一時五五分頃信雄は突然額に手をあて自席に戻り、隣席の菅川事務官に「かわつてくれ」と言つたまま返事もせず、直ちに抱えられて休養室に運びこまれたのち意識が回復せぬまま死亡した。

右認定事実と〈証拠〉によれば、信雄の死亡当日の勤務状況は午前、昼休み、午後の最初の納税相談に至るまでは平穏であり、精神的ストレスを生ぜしめるものではないが、前記三名の税務相談は、その相談者らの人柄、態度、相談内容に信雄の能力、性格をあわせ考えるときは、信雄に高度の精神的ストレスを生ぜしめるものであつたと認められる。

もつとも〈証拠〉によれば、梶尾克己は右信雄が倒れたのち右相談を引き継いだが、相談者らに詰問されることもなく、また自分が興奮することもなく終了したことが認められるが、信雄と梶尾上席調査官とではその能力、性格が異るのであり、また信雄の突発事故が相談者の態度に変化をもたらしたことも考えられるから、右事実により前記認定を左右することはできない。

ところで公務上の死亡というためには、公務と死亡との間に相当因果関係の存することを要するものというべきであるが、特に公務員が高年令による動脈硬化あるいは高血圧症等の基礎疾病を有する場合においては、公務の遂行が基礎疾病を急激に増悪させて死亡の時期を早める等それが基礎疾病と共働原因となつて死亡の結果をまねいたものと認められれば足るものと解すべきである。

これを本件についてみるに、前記各認定事実に〈証拠〉を総合すると、信雄の健康状態(信雄の高血圧の進展状況)は高血圧症という基礎疾病を有するがその進展状況は緩慢であつたものと認められ、右が急激な自然増悪の過程にあり、事故当時いつ頭蓋内出血があるやも知れぬほどに高度のものであつたとは到底解し難いから、信雄の死亡がその有する高血圧症が自然経過的に進展した結果生じたものと認めることは困難であり、一方信雄死亡当日の前記三名による税務相談においては、信雄に高度の精神的ストレスを生じたことが認められるから、信雄は右精神的ストレスにより基礎疾病たる高血圧症を急激に増悪させた結果頭蓋内出血を生じ、それにより死亡するに至らせたものと認めるのが相当である。仮に、右死亡当日の税務相談による精神的ストレスが死因である頭蓋内出血の引きがねないしは誘因に過ぎず、これによつて頭蓋内出血を招く程度に信雄の基礎疾病である高血圧症が当時進展増悪していたものとすれば前記(一)(二)認定の事実関係及び〈証拠〉から考えて、このような急速な高血圧症の増悪をもたらした原因として前記(二)2の私生活による疲労より以上に同1の勤務による疲労が大きいと推認すべきである。そして以上の認定に反する〈証拠〉は当裁判所の採用しないところである。

そうとすると、いずれにせよ、信雄の死亡は公務に起因するものということができる。

三控訴人が右信雄の配偶者であることは当事者間に争いがなく、また控訴人が信雄の葬祭を行つた者であることは弁論の全趣旨によりこれを認めることができるので、信雄の死亡が公務上のものである以上、被控訴人は控訴人に対し、控訴人主張のとおり、葬祭補償として金一七万八〇〇〇円(一〇〇〇円未満は切捨てたもの、国家公務員災害賠償法九条五号、一八条、職員の災害補償三一条により信雄の一日の平均給与額金二九八一円―この数額は当事者間に争いがない―の六〇日分)、退職手当金として金三九九万八〇〇〇円(一〇〇〇円未満は切捨てたもの、昭和四八年法律三〇号による改正前の国家公務員退職手当法五条により信雄の俸給月額八万〇七七〇円―この数額は当事者間に争いがない―に勤続期間に基く支給割合49.5を乗じたもの)の支払義務があるところ、控訴人は被控訴人より信雄の普通退職金として金三三三万一七六二円を受領ずみである。(このことは当事者間に争いがない。)

そうすると被控訴人に対し、金八四万四〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和四七年一〇月七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める控訴人の本訴請求は理由があるから認容すべきである。

よつて控訴人の本訴請求を棄却した原判決は失当であるから、民訴法三八六条に従い、これを取消して本訴請求を認容し、訴訟費用の負担につき同法九六条、八九条を適用し、仮執行宣言の申立は必要性がないと認められるからこれを却下し、主文のとおり判決する。

(胡田勲 北村恬夫 下江一成)

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